2013年7月4日木曜日

NHK: 時論公論 「"夢の降圧剤"問われる臨床研究」


時論公論 「"夢の降圧剤"問われる臨床研究」2013年08月03日 (土)

土屋 敏之  解説委員
 血圧を下げるだけでなく、脳卒中や狭心症の予防にも効果があると宣伝され、“夢の降圧剤”とも言われた、高血圧の治療薬の信頼が揺らいでいます。薬の効果を裏付けた、臨床研究のデータが事実と違うように操作されていたことがわかったからです。この薬を巡って何が起きているのか。そしてその背景には何があるのか。今夜はこうした問題を考えます。
 
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問題になっている薬は、外資系製薬会社ノバルティスファーマが販売する「ディオバン」という高血圧の治療薬です。日本では2000年に発売され、国内で400万人が服用、これまでに1兆2千億円を売り上げた国内屈指の医薬品です。その人気を支えているのが、「高血圧の患者に多い、脳卒中や狭心症を予防する効果もある」などとする研究結果でした。
 
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 それは、どんな研究だったのでしょう?新たに薬を開発して承認を得るために行われる「治験」ではありません。治験は法律に基づき、薬の安全性や有効性が厳しく審査され、ディオバンも、降圧剤として治験をクリアしています。今回、問題になっているのは、薬の承認後に実際に患者の治療に使って新たな効果などを調べる、「臨床研究」と呼ばれる研究です。こちらには法規制はなく、大学や医療機関で数多く行われています。
 
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 東京慈恵会医科大学と京都府立医科大学の臨床研究では、ディオバンが、別の薬と比べて脳卒中や狭心症の発生を半減させるという結果を導き出して、大きく注目されました。
ところが、その後、専門家の間から研究結果に疑問の声があがり、大学側が調査を行ったところ、要となるデータが操作されていたことがわかったのです。
 
 具体的にどんな操作が行われていたのでしょう?京都府立医大が行った調査結果からみてみます。研究は3千人の患者を対象に行われましたが、大学にカルテが残っていた223人について、論文のデータとカルテを比較しました。
 
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研究論文では、ディオバンをのんでいた112人のうち、脳卒中や狭心症を起こした人は14人、他の降圧剤を飲んでいた人は34人とされ、ディオバンの方が発生率が低いとされていました。ところがカルテを調べると、脳卒中や狭心症を起こした人はディオバンでは16人、他の薬では20人とあまり差が無かったのです。
調査委員会は、他の薬より脳卒中や狭心症を大幅に減らせるとした臨床研究の結果には誤りがあった可能性が高いとしています。
 
 では、誰がこのようなデータの操作を行ったのでしょうか?
 京都府立医大の調査委員会はわからないとしていますが、慈恵医大は、患者のデータの解析を担当していたノバルティスファーマの当時の社員が行ったと考えられる、としています。この人物は京都府立医大の研究でもデータ解析などを担当していました。これに対して、元社員は関与を否定し、またノバルティスファーマも、元社員がデータの意図的な操作した証拠は見つからなかった、としています。
 
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 結局、誰がデータを操作したのか、これまでの調査ではわかっていません。
 これまでディオバンを飲み続けてきた人たちは不安を感じているでしょう。しかし、自分の判断で薬をやめてしまうと、身体に影響がありますから、不安があれば医師に相談して、対応してほしいと思います。
 
 その上で、今回のようなデータの操作が起きたのはなぜなのでしょうか。
 1つは企業と大学との間の、言わば「もたれ合い」です。今回、大学には製薬会社から多額の寄付金がありました。日本では臨床研究に投じられる公的資金は潤沢とは言えず、大学にとって研究費の獲得は大きな課題です。 一方、製薬会社にとっても、新薬の開発には莫大な費用がかかるため、発売後もなるべく付加価値をつけて売っていきたい思惑があります。
 
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こちらはディオバンの売り上げです。慈恵医大の研究発表を受け増加し、さらに京都府立医大が論文を発表した年に、過去最高の1400億円を記録しました。
製薬会社から資金を得て研究を行うこと自体は、世界的に広く行われていますが、
今回の研究のように、利害関係にある製薬会社に勤めていた人間が、研究の要となるデータ解析を行っていた、しかもそのことを研究論文では伏せていたというのは、あってはならないことです
 そして、臨床研究を進める大学側の体制の問題もあります。日本の大学には、統計的なデータ解析など、臨床研究に欠かせない専門知識を持った人材が十分育っていません。そのために、製薬会社の社員にデータの解析をゆだねるようなことが起きてしまうのです。
さらに、データの管理自体もきちんと行われていませんでした。もし、データを厳しくチェックする体制があれば、こんな不正は起きなかったはずです。
 
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 では、こうした問題が起きた責任はどこにあるのでしょうか?
まず、ノバルティスファーマの責任です。会社は、事実ではない論文データを宣伝に使い、薬の売り上げを伸ばしてきました。それは、脳卒中や狭心症の予防にも効果があると信じた、毎日飲み続けてきた患者の信頼を大きく裏切るものです。ディオバンは他の降圧剤と比べて価格が高く、本来、患者が払わなくてもいい医療費を負担してきたわけですし、医療保険を払っている国民全体が余計な負担を強いられたことにもなります。
 一方、研究者・大学側の責任も重大です。事実でないデータを使い、論文を作成し、発表した上に、元社員が研究に関わっていたことを伏せたまま、世界的な医学誌に論文を掲載していました。データに誤りがあったとして、論文を撤回することになりましたが、日本の研究の信用を失墜させたという責任も免れません。
 
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 こうした問題を繰り返さないためには、何が必要なのでしょうか?
ひとつには、臨床研究への規制の強化が考えられるでしょう。日本では治験と違い臨床研究には法律がなく、強制力の無い「倫理指針」などに基づいて研究が進められています。
 これに対してEUでは現在、ヒトに薬を投与するような臨床研究は基本的にすべて、法規制の対象です。イギリスを例に取ると、臨床研究を行うには国に計画を申請し承認を得る必要があります。データを保存することも決められています。違反すれば処罰もあり得ますし、医薬品庁が査察を行う権限も持っています。国民の健康に関わる臨床研究は国が責任を持って監督することが必要だ、との考え方です。
 
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 ただ、あまり規制を強化すると、手続きが煩雑になり時間やコストがかかるため、臨床研究が減ってしまう恐れがあります。では、どの程度の規制が望ましいのでしょう?
 現在、日本では、倫理指針を見直す国の会議が進められており、その中で、データ保存をルール化することが検討されています。
 私は、研究の活力を損なわない範囲で、データの保存や、いざというときに公的機関が調査を行えるなど、最小限のルールは、法令化も含め検討してよいのではないかと思います。その上で、大学や医療機関が、データの解析などをきちんと行える専門性の高い人材をしっかり育てること。そして、適正に研究を進められる体制作りを急ぐ必要があります。データの不正な操作などが行われないていないか、利害関係のある製薬会社が研究内容に不当にかかわることがないか、自らの責任として、チェックできる体制です。
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 いま、国の成長戦略の柱の一つに医療分野が挙げられています。さらに、臨床研究は、私たちの健康に直結する最も身近な研究であり、医療費を通じて私たち国民の負担にも関わっています。そういう面からも、今回のような問題が今後起きないように何が出来るのか、議論を深めていく必要があると思います。
 
(土屋敏之 解説委員)
 


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